トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

シールズの安保法案に反対の理由が利己的じゃいけないの?

懸案の安保法案に対して、若者がデモや抗議活動を行なっているようですが、それに対して、自民党の武藤貴也議員が「戦争に行きたくないだけの利己的な考えだ」とTwitter上で彼らの行動を批判したようですが、そもそも戦争に行きたくないという考えが利己的な考えか?どうかという問題もありますけど、利己的な考えだったとして、利己的な考えで反対してはいけないのでしょうか?私はこれに関しては賛成でも反対でもないですが。

別に利己的な理由で反対してはいけないのでしょうかね?戦争に行きたくないという気持ちは利己的、自分勝手とも言えるかもしれないが、それを理由に反対しても良いと思いますけどね。例えば、選挙でどの候補者、どの政党に入れるか?を考えるときに国民全体の利益を考えて投票しても良いですけど、別に自分の利益を最優先して投票したって良いのではないでしょうか?ダメなんですか?もっと言うなら、利己的じゃない理由なら良いってことなんでしょうけど、利己的じゃない理由って、どういう理由になるんでしょうね?

戦争に巻き込まれる、そうなれば、戦争に駆り出される人が出てくる。自分はそうなりたくないって考えは利己的じゃなくて、合理的だと思うんです。利己的っていうのは、戦争に行きたくない。戦争に巻き込まれたくない。でも、外交はなんとか上手くやれ!というような、100を求めるような人たちのことなんじゃないか?と思います。ちょっと分かりづらいかな?もっと上手く説明すると、例えば車に乗りたいが、事故には巻き込まれたくない。というのは、私は利己的だと思うんですよ。それは車に乗る人がたくさんいれば、事故はまず防げないし、それに巻き込まれる可能性はいつでもありうる。

つまり、車に乗ることのメリットは受けたいが、車に乗ることのリスクは0にしたいというのは、現実的に不可能ですし、それを要求するのは利己的じゃいか?と思うのです。つまり、戦争に行きたくないというのならば、それによって別に起きるリスクを全て受け入れるという覚悟ならば、別に戦争に行きたくないからという理由で反対しても利己的だとは思いません。だから、彼らの言い分がそもそも利己的か?どうかも判断は厳しいと思います。そして、利己的であったらあったで、それは何故いけないのか?どう批判するのでしょうか?

社会システムっていうのは、基本的に誰かの、特に権力者の利己的な部分で成り立っているでしょう。一応、民主主義が働いてはいるが、間接民主制だし、見かけ上は国民ではなく、国会議員が全てを好きなように決めているような状況で、今回の安保法案もそのうちの1つかもしれない。世の中の仕組みってのが、そもそも一部か、大半か?分からないけど、特定の層に有利なようにできていると思いますから、そもそも人間は常に利己的に行動しやすい生き物です。それを合理的とも呼ぶ場合もありますけどね。だから、今回の武藤議員の批判は、批判になっているのか?も怪しいのではないでしょうか?

堀江貴文氏は、徴兵制はありえないとしていますが、いきなり戦争になるとか、戦争に駆り出されるとか、それは正直考えが飛躍しすぎているのかもしれませんが、将来的にはどうなるか?分かりません。世界の動きは予想できませんし、ちょっと危ないんじゃないか?って多くの人から思われている国が近くになるので、安心できないというか、日本が巻き込まれるか?ということもありますけど、アメリカの戦争に日本が駆り出されるというの可能性をみんな心配していますよね。集団的自衛権の問題もありますが、終戦記念日が近いタイミングで、本当に戦争についてめまぐるしい変化に国民が立たされているのです。

今、私たちが戦争について考えるのは、ほとんどこの季節が中心です。8月くらいにならないと考える機会は少ないかもしれないが、こういう状況に日本が立たされると、1年中戦争について考えないといけない。戦争は自然災害じゃないから、人為的にしか起こされないものだ。だから、理想を言うのならば、考えないでいる時期があってもいいものだと思う。自然災害はいつ起こるか?分からないから、常に想定しないといけないだろうけど。戦争の場合は常に想定しておくこと、危機に備えることが良いように思えるかもしれないが、本当にそうなのか?と思う。だって、起こす人がいなければ起きないんだぜ。
関連記事

 
トラックバック
トラックバック送信先 :

プロフィール

Auther:さいてぇ(管理人)

ハンカチ世代の零細フリーランサーです。毎日とても眠くて起きるのが大変です”_| ̄|○”ハァハァハァ


ブログパーツ

スポンサードリンク

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム