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20歳を越えた子供の不祥事の責任を親がとることが常態化しているおかしな社会

成人の日にニコニコ動画のニコニコ生放送で堀江貴文氏とイケダハヤト氏の対談が放送され、これからの私たちの「働き方」について語られていました。私は昨日、これをタイムシフトで視聴して、話自体は非常に面白かったのですが、その中で1つ気になる話がありました。これは「働き方」の話とは関係ないのですが、堀江氏が「子供ほど自分の思い通りにならないものはない」ということを話していたのです。

これはイケダ氏が丁度子育てをしているということに端を発して出た話題で、先ほどの言葉に加えて、さらに「20歳を越えた子供の責任を親がとる必要ない。誰か番組辞めた人いましたよね?」と言っていました。それはみのもんた氏のことなのですが、彼の次男が何らかの犯罪を犯して、その親であるみのもんた氏が自分が司会をしている番組を辞めたというニュースは記憶に新しいところだと思います。彼の息子の場合はもう31歳なんですよね。良い大人ですよ。

息子の不祥事に対して、謝罪をしたりするくらいの行為はそれが自発的なものであれば、それは勝手だろうし、必要なものな気もしないでもないですけど。ただ、番組を辞めるというのははっきり言って生活に関わってくるものです。みの氏の場合は別に番組を降板しても生活に困るような事態はないかもしれません。ただ、20歳をゆうに越えた息子のの不祥事のせいで、その親の人生が狂わされるのは何だかおかしいですよね。

今回の辞任も完全にみの氏の自発的行為なのか?世間や周囲からの圧力があってのことなのか?不明ですが、私はみの氏が責任をとる必要はないと思います。これにはとくダネの司会をしている小倉智昭氏、和田アキ子氏も同様の考えのようで彼が辞めて何か解決するんだろうか?いろいろな場所で、何らかの不祥事や不振が起きると、「責任をとる」ということはよく言われますが、その責任ととったことで何か解決されたことがあったのか?と、とても思います。

みの氏が番組を辞めて何か良かったことがあったのでしょうか?世間や社会から圧力をかけている人がいれば、そういった人たちが満足する。またはそういった人たちが満足することにより、圧力が消えて番組が円滑に進むということもあるかもしれませんが、それは完全にみの氏にしてみれば理不尽なメリットですよね。責任をとるという表現や行為はよく使われますが、その度に何らかの違和感を感じます。丸坊主とかにする人は、一体の何の解決になるんでしょうか?

20歳を越えても子供の不祥事が理由で何らかの責任をとる必要があるなら、20歳を越えても24時間子供を監視してないといけないことになりますが、そんな事態なら益々子供を作る夫婦が減ることでしょう。ただ、本来であれば子供が減ったとしても別に問題ではないのですが。問題なのは子供が今後減っていくことが予想されているのに、子供が減って即座に困るような社会体制を放置していること。それが1番の問題なのです。

話がそれてしまいましたが、いつまでも子供の不祥事を親に押し付けようとする社会もまたおかしいのではないか?と。そして、親がいちいち責任をとって何らかの形で示すという風潮もまたおかしいのではないか?と思います。そういう行動をとる人が出てくれば出てくるほど、そういう風潮に流されたり、それを強制されていると勘違いしたりして、またもや責任を行動で示さないといけない人が出てきてしまう。

次々とそういったことを強制する、強制される負の連鎖が生まれて、非常に生き辛い嫌な世の中になるだけだと思います。結果的にはみの氏は責任をとる必要もなかったと思うし、番組を辞める必要もなかったと思っています。責任をとると言われて、番組を辞めたり、丸坊主にされても、リアクションに困るだけです。何も感じません。


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