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ベラルーシで無職、ニートに罰金を与える暴力的な法案が可決

ベラルーシで可決した驚愕の法案があります。それは半年以上無職の人間は罰金約3万円分を払うか、払えない場合には社会奉仕活動を強いられるというものらしい。これには多くの国々から人権侵害等という理由で反発もある。日本からも反発はあるが、日本でもやるべきだ!と、ニートをしている人たちが憎たらしいと思っている人たちが賛成している現状もある。そもそもこの法案は事実上の強制労働もとれる。罰金を払えばやらなくても良いという見方もできるけど。

ただ、罰金を迫ることは、働くことを強いることでもあるのは確かでしょう。そもそも、何故働かないといけないのか?という疑問にどう答えるのでしょうか?働くことがもはや当たり前になっているのは日本だけではなく、他の国でもそうです。じゃあ、当たり前になっているのか?一部の人たちを除いて、働かないと生きていくのが困難だからです。じゃあ、何で働かないと生きていくのが困難なのか?国がそういう状況を意図的に作っているからです。

じゃあ、国はどうしてそういう状況を作ったのか?その方が都合が良いから。つまり、国を操れる立場にある人たちが得をするから。だから、全員が全員働かなくても大丈夫という状況を作ることは十分可能だと思うし、それで全員が問題なく食っていける状況も作ることができると思う。でも、それを作らないのは、作らない方が得だから。要は半ば強制的でも働かせた方が国の富が増え、国にとっての収入である税金が増える。ウハウハ状態ですよ。働く人が減ると両方減ります。だから、国は働かないと生きていけない状況を作って、実際に国民を働かせて、その上がりで食っていくという流れなのではないでしょうか?

本来は別に全員が働く必要がないが、1人でも働いてくれた方が国にとって得だから、みんなを働かせようとするわけ。つまり、冒頭で言った、何故働かないといけないのか?という疑問に対しての答えは、働くと国が都合が良いから。ということになる。つまり、世界中の国は国民がみな働くことを前提に作られているから、客観的に見れば働くと国や多くの国民が助かるというのはあるが、働かないといけない理由にはならなということです。働かなくても国民全員が一応暮らしていけるシステムに変換をすれば、それで上手くいくと思う。

でも、それをやらないのは、国にとって今のシステムと比べると旨味が少ないからです。だから、国民が働いてくれるシステムこそが国にとって1番旨味があって、それをやろうとするわけだけど、そうなると、じゃあ働かないといけない理由があるとすれば、国の都合が悪いという、非常に身勝手にも思える理由になるのです。つまり、客観的に見たら、働かないといけない理由はないのです。実際、今のシステムがある以上は働かない人が増えると、働いている国民にとっても都合が悪い。だから、主に彼らからバッシングが浴びせられる。国の身勝手な都合に国民の多くが騙されているのか?自ら参道しているのか?は分からないが、世の中に存在する「働かないといけない理由」は国、そして国民からの身勝手な都合によるものとなります。

そうなると、働かないといけない理由自体は一応存在するが、それを遵守しないといけない理由は客観的には存在しない。働かない人を働かせようとする人や働かない人を叩くような人は、身勝手な国の姿勢に従順に従っている状況を示している。実際、国はそういうことはなかなかできない。働いてくれた方が望ましいくらいしか言えない。憲法に縛られている国は、国民を強制的に働かせることはできないから。憲法上も働かないといけない理由はないのであるから、少なくとも日本では働かないといけない理由はないし、働かない人がいても良いということになる。それに反発する人は何を根拠にしているのでしょうか?

ベラルーシの憲法や、詳細な社会状況というのは分からないため、今回の法案の妥当性はベラルーシ国内に限っては判断が難しい。ただ、ベラルーシがそういう法案を可決させようとした理由や働かない人を働かせようとする理由はすでに説明したとおりだと思います。そこは世界共通だと思う。つまり、、ベラルーシの憲法に抵触するのか?しないのか?の問題はさておき、少なくとも働かない人を無理矢理働かせようとする法案自体は、大変身勝手だといわざるを得ないでしょう。

実際、人によっては、「安心できる生活を与えると人は働かなくなる」と言う場合もあります。生活保護とか、そういうことを言っているのでしょうか?つまり、何故働かなくなるといけないのか?を考えもせずに働くことが大前提になっているわけですよね。こういう人の場合は。人々に安心できる生活なんかを与えたら、俺たちが損をするじゃないか!ということなんでしょう。人々の安心よりも俺たちの利益という精神が垣間見える、この国ではやっぱり働くということは、ほとんど身を国や誰かに捧げる好意に等しいのでしょうし、それ自体やり方によっては「負け」を意味しているのかもしれないですね。こういうことを考えると、国や多くの人たちに利用されるくらいなら、働かない選択をとる人がいても不思議じゃないのでしょう。


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