トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

目の前で助けを乞うている人を救護せずに見捨てると叩かれる不思議

例えば、誰も通らないような道で瀕死の状態で助けを求めている人がいたとします。そこに本来なら誰も通らないような道なのに、たまたまあなたが車で通りかかったとします。そこで、あなたがその助けを求めてきた人を無視して行ってしまったら?この後、その瀕死の状態の人がどうなったか?は別にしても、この場合、その無視してどこか行ってしまった人を知った人は、多分猛烈に叩かれると思います。それが国民感情の普遍てきなものなのかもしれません。

ただ、ここでたまたま車で通りかかった人に救護義務はないでしょう。その瀕死の状況を作ったのは自分ではないのだから。だから、理屈でいえば助けないことが本来はおかしいわけではないはず。ただ、多くの人は「普通の人間ならば無視はしないで助けるに決まっている!」といった理由で、この場合非難をするのではないでしょうか?それは一般的な国民感情に照らすと、多分違和感を感じる人は少ないんじゃないか?と思うけど、私は数少ない違和感を感じている人間です。

というのも、ここで無視してどっか行ってしまった車の運転手を責める人は、同じような状況で常に見ず知らずの人を助けているだろうか?ということです。例えば、駅前で募金活動をしている人たちを見つけて、常に箱にお金を入れているのだろうか?募金をしている理由は様々だろうが、1円でも、10円でも毎回それを見つけるたびに入れている?1円、10円を入れる負担は見ず知らずの人を自分の車に乗せて運ぶより間違いなく軽いはずです。それをちゃんと毎回やっている?

困っている人を見捨てないで、常に募金箱にお金を入れている?入れてないですよね。普通の人は。少なくとも毎回は絶対に入れていないと思う。先ほどの話に戻るけど、ここで無視してどこかへ行ってしまった運転手を責める理由として、あるのは先ほどの募金の例にもあるように負担が軽いってことです。車の乗せてあげるくらい容易いだろう?それくらいやれよ?って意味も多分含まれている。これが激流で誰かが溺れていて、助けを求めていた場合には、助けに行くと自分も溺れるというか、流れに巻き込まれてどうなるか?分からないから、こういう場合には多分そこまで非難されないと思う。

じゃあ、さっきの募金の例もそうだけど、負担が軽いからという理由で無視してどこかへ行ってしまうのを非難するのなら、そういう人は少しの負担さえかければ誰かを救える場面で、困っている人を助けているのだろうか?例えば、サラリーマンの場合はちょっと適さないので、自営業者が毎年確定申告をするときに、納付しなければいけない税額を以上のお金をあえて納める人っていないですよね。納付税額に+して100円でも1000円でも納付する。それを多くの人がやれば、かなり膨大な本来ならありえない税金が集まって、それをもとにして多くの人を救える可能性もあります。

しかし、恐らく余計な税金を納めている余裕があるという人でもそんなことはしないんじゃないか?そして、それをしないことを咎める人、非難する人はいないし、非難される謂れもないと本人は思っているでしょう。何故だろうか?そんな義務がないからだ。確かに納付税額以上の金額をあえて納めることで、自分の生活が脅かされる心配のないくらいに稼いでいる人は、さらにプラスしていくらか収めた方が、所得の再分配がより徹底される状態になるから、世の中全体として、何らかの方法で貧しい人に多くのお金が行き渡り、結果的に例えば餓死していた人が救われたりする可能性だってある。

義務がないからといって、やらないよりはやった方が良いに違いないでしょう。でも、義務がないからそれをしないことを咎められない。それは理屈でいえば間違っていないと思う。法的な義務はないのだから、やらなくたって良いのです。じゃあ、最初の話に戻るけど、目の前で倒れている人を助ける義務はないが、助けないで見捨てていくと、多くの人は非難するじゃないかな?とこれはどうしてなんでしょうかね?この例と今言った必要以上の税額を納める例はどちらも義務のない行為です。でも、片一方は批判されるリスクが高いし、もう一方は批判されない可能性が高い。

この2つの例の違いがあるとすれば、実際に困っている人が目の前にいるか?いないか?の違いくらいしかない。目の前に困っている人がいるのに、それを見捨てていくのか?という気持ちから批判する人がいるのはまあ分からないでもないけど、目の前にいなければ見捨てて良いという意見になってしまうと、随分都合が良い意見にしか思えなくなってきます。必要の税額以上を納める行為に関しては、生活に困っているような人がどこにいるか?は関係ない。実際にいるのは間違いないのだから、目の前にいようが、距離のある場所にいようが、納税者はただ納税をするだけで良い。別に困っている人が遠くにいるから、納税者の負担が増えるわけじゃない。

あなたがプラスして納税してさえくれれば、世の中のどこかにいる人たちが結果的に救えるかもしれない。その負担は全然変わらないのです。同じ義務のないことでも、こうして差が出るのは簡単な理由で、自分がもし車で通りかかったときに、誰か助けを求める人がいたら、自分は絶対に助ける!という信念を持っている人が多いから。だから、その信念に反する助けないで見捨てていく人間はおかしい!という批判になるのだと思います。その批判の根拠があるとするならば、自分の価値観ということでしょうかね?逆に必要以上に納税をしようなんて思っている人はいない(実際している人もほぼいない)から、納税義務を越えた金額を納税して困っている人を助けない人がいても、自分もそれをしていないから批判しない(できない)のでしょう。

一部の場面でも助ける人は、どんな場面でも助けない人よりは良いと言えるのかもしれないけど、どうして場面が異なるとこういう人々の反応に差が出るのだろうか?状況はほとんど似ているが、反応はまるで違う。私はそこが腑に落ちない。私は車の運転手が助けを請う人を見捨てて行ってしまっても、私はその人を批判はしないでしょう。私が同じような場面でそういう行動をとるから。というわけではないが、私は今までの人生を振り返ってみて、全ての場面で、困った人を助けてはいない。多少の手間しかかからないのに。無視して行ってしまうことは山ほどあった。だから、自分が同じ目に遭ってもしょうがないと思っているし、そういう人がいても不思議には思わないから。


関連記事

 
トラックバック
トラックバック送信先 :

プロフィール

Auther:さいてぇ(管理人)

ハンカチ世代の零細フリーランサーです。毎日とても眠くて起きるのが大変です”_| ̄|○”ハァハァハァ


ブログパーツ

スポンサードリンク

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム