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「選挙に行かない人は文句を言うな」という主張は理解不能すぎる

もうすぐ衆議院議員の総選挙が行われます。日本では、選挙の時期になると非常にピリピリした雰囲気になりますよね。特にネット上は。それは選挙に行かない人が選挙に度に増えており、選挙に行かない人にとって望ましくない状況が続いているから、投票率が下がり続けているから、組織票に屈してしまうことが許せないから、若者の投票率が上がらず、若者が政治の場から排除されているから、など理由はいろいろあるでしょうけど、とにかく選挙に行かない人は非国民!のような空気になります。

選挙は少なくとも義務ではないから、行かない人が叩かれる謂れはないのだろうけど、よく「選挙に行かないなら文句を絶対に言うなよ?」と釘を刺しに来る人が大勢いますね。嫌がらせじゃないか?と思うくらいに毎回、しつこく言ってくる人たちもいるでしょうし、毎回ウザいなと感じている人もいるのではないでしょうか?選挙に行かないと文句を言ってはいけない理由というのは、私には理解しがたいのです。文句を言う、不満を言う、それは要望を伝えるという表現もできるかと思います。

それの何がいけないのでしょうか?国民が政治に参加する意味って、何か?っていうと、政治に対して、自分たちの理想の政治のあり方、社会のあり方を伝えるものじゃないですか?そのための一手段が選挙というものだと思います。つまり、政治に参加するために国が公式的に用意したものが選挙であり、これは現在のところ20歳以上であれば、この手段を使って政治家に自分たちの意思を伝えることができるというものです。

ただ、別に政治に参加する手段、政治家に対して自分たちの希望を伝える手段というのは選挙だけではありません。選挙を利用しても良いけど、選挙以外がダメということはありません。少なくとも法律等で禁止はされていない。それは例えば、よく言われているような「文句を言う」という行為です。政治家に直接言う場合、そうじゃない場合もあるでしょう。街頭演説をしている政治家に直接言う場合もあるでしょうし、私みたいにブログに書いて文句を言うというやり方もある。これも選挙と同様に、国民から政治家への意思表示に他なりません。

そして、私が理解できないのは、選挙という政治に参加するために一手段を行使しないと、その他の手段が何故か使えないと主張する人も思考力なのです。すでに述べたとおり、政治に参加する手段は選挙で投票する、政治家に文句を言う(希望を伝える)、またはそれ以外など、いくらかあると思います。それらは少なくとも法律では禁止されている手段ではないのだから、どれを使うか?またはどれとどれを組み合わせるか?というのは各自の自由であるはずです。

どれが1番効果があるか?というのは人それぞれ考え方が違うでしょうし、違って当たり前だと思いますから、それぞれで好きなように手段を選べば良いと思います。にもかかわらず、何故か選挙という一手段を神聖視している人たちが、選挙に行かない人はその他の手段を使うな!と言ってくるのですから、意味不明といわざるを得ないのでしょう。実際、彼らの言い分が正当化されるためには、少なくとも政治家に文句を言う手段以上に、選挙で投票するという手段が、政治に対して自分の希望や要望がより伝わりやすい。ということを証明しないといけないと思います。

それができないのであれば、彼らが政治家に文句を言っている連中の行為を妨げるのは単なる自己中だといわれてもしょうがないでしょう。選挙に行かないで政治家に文句を言っている人は、選挙に参加する意味を見出していない(選挙では自分たちの意思は伝わらない)と考えていて、政治家に文句を言う行為はそれよりは手軽にできるし、そっちの方が効果がまだ高いからだと考えたからでしょう?そういう人の行動を非難するためには、先ほど言ったように政治家に文句を言うよりも、選挙に行った方がより自分たちの意思が伝わる効果的な手段なんだよ?ということを証明すべきでしょう。それができないなら、彼らが言っていることは合理性もないような、自己満足に終始した、ただなんとなく気に入らない人を叩く行為にしかなりません。

実際、選挙って具体的な意思表示ができない。という最大の欠点があります。投票するということは信任しかできないわけですから、おいおい!もっと他に良い候補者や政党いないのかよ!と思っていたとしても、投票しないということが最善の策であり、信任したくもない人たちに投票するって意味が分かりません。投票した以上、客観的に見たら信任行為になってしまいますから、自分たちの不満を伝えることはできない。不満があるのに、信任をしろというのはおかしい。白票を投じろという人もいますけど、白票が白票のみでカウントされるならまだ意味はあるかもしれませんけど、白票は他の無効票と同じ無効票としてカウントされるので、政治に対する抗議の意味を込めた票の数は誰にも分からないのです。

白票は書き損じなどと同様に無効票と扱われてしまうので、白票を投じても白票の数は明らかにならない。ましてやどんな意味で白票を投じたのか?意味合いが全員同じとも限らないので、政治家としても結局彼らの意思を汲むことは難しいのです。選挙に参加するということは、普通に投票するにしても、白票を投じるにしても、自分たちが抱えている不満を晴らす手段としては機能しづらいのです。逆に政治家に文句を言う行為は個別具体的に言えますよね。高齢者を優遇するな!とか、所得税を下げろ!とか、議員定数を減らせ!とか、個別具体的に意思表示ができますし、伝えられますよね。

それを聞いて政治家がどう思うか?ってのは別問題ですけど、影響力を持つのは間違いないと思います。要は同じような文句を言ってくる人が多数いるとしたら、政治家は「こういう不満を持っている人がたくさんいるのか。じゃあ、これを政策に掲げたら、次の選挙では投票してくれる人増えるんじゃね?」と思ってくれるかもしれない。ということもないとはいえない。少なくとも選挙では起こり得ないことでしょう。私がブログで書いている文句だって、政治家がネットサーフィン中に見てくれるかもしれないですからね。

誰でもわかっちゃう政治の超基礎」というWEBサイトに「買った車だから文句を言える。買ってもいない車にクレームはつけられない。だから、選挙に行ってもいないのに文句をいうのはおかしな話」とか書かれているけど、そもそも、車を買ってない人間がどうしてクレームを言ってはいけないのでしょうか?クレームという表現が妥当じゃないかもしれませんけど、例えば、Aという車を買ってない人間でも「Aって、黒とシルバーしかないのか・・・。赤があれば買ったかもしれないのにな」と不満をぶつけることはおかしくないでしょう。そういう人がこく僅かなら、メーカーも無視するでしょうけど、そういう意見がどんどん集まってきたら、「赤って需要あるのか?よっしゃ作っちゃうぞ!」と、希望を聞いてくれるかもしれません。車を買ってない人間だってクレームを言って言いし、そのクレームにも意味を見出せるでしょう。

選挙は投票するにしろ、白票を入れるにしろ、結局何を考えて国民がそれを投じたのか?までは政治家に伝わりませんが、文句はそれが伝わります。よって、後者の方が国民が政治に参加して、自分たちの意思表示をする手段としてより効果的ともいえる面もあるからこそ、選挙なんて手段はとらずに、政治家に文句を言う人が増えているのではないか?と思います。私は選挙に行きたい人は行けば良いし、行きたくない人、行っても意味がない人は行かなくて、他の手段をとっても良いと思います。それぞれが自由に手段を選べばいいのに、他人のやり方にケチをつけたり、非難する人が多いのは理解できないということです。何度も言いますけど、彼らがそこまで言うのなら、選挙という手段の他の手段に対する優越性を証明しないといけないと思いますけど、それができるのでしょうか?


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