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他人に対して「甘え」と罵る人は、ほとんどの場合で説得力がない

よく労働の現場でも、それ以外の現場でも使われる「甘え」という言葉があります。本当に甘えているのか?と思えるようなことに対しても平気でこの言葉を使う人はいるようで、見慣れてしまった感覚があります。どうして、多くの人がこの甘えという言葉を使うのか?というと、結局は多数者の専制なんでしょう。

多くの人たちが我慢している中で、それができない人間はおかしい。異端視しているわけですね。結局は多数決で決まってしまっているのでしょう。多数決の中から脱落した者は残念ながら、「甘え」という烙印を世間の多数から押されてしまうのです。

例えば、多くの人たちが長時間労働に耐えて頑張っているのに、それに嫌気が差して脱落した者、つまり会社を辞めたりした者に対してこの「甘え」という言葉を放つ人は間違いなく多いでしょうね。頑張っている自分は偉くて、そこから逃げ出したものは卑怯者といった感覚なのでしょうか?

そもそも長時間労働は場合によっては違法になるケースもあるわけで、それにただ単に歯車のように従っている人間が自分は偉いと錯覚でもしていようことなら、それはさすがにおかしいと思いますね。違法労働を助長しておいて、どうやったらそんなに自分を誇れるのでしょうか?違法労働から逃げ出した労働者こそがいわゆるマトモな人間でしょう。

そして、これは鬱病を患っている人との関連で「鬱病は甘え」というセリフとしても使われています。もうここでおかしいんですよ。「鬱病は甘え」という人はおそらく鬱病になったことがない人でしょう。鬱病の辛さ、苦しさを知らない人間が何で「甘え」なんて断言しちゃっているのでしょうか?あなたは鬱病の何を知っているのでしょうか?自分が経験していないことを「甘え」と罵る無神経さは凄まじいですね。

その人の人生を生きていない人間はその人の人生の辛さ、苦しさは何1つ理解できないはずです。例えば、鬱病を経験した人間が「こんなのオレだって乗り越えられたんだ!だから、これすら乗り越えられない人間は甘えだ!」というのなら、100歩譲ってまだ説得力はあると思います。しかし、全く無関係の第三者が何の根拠もなく、「甘え」と罵る姿はさすがにおかしいと思います。

中には甘えている人だっているでしょう。しかし、その人の人生を何も知らない人間にとっては、それが甘えなのか?そうじゃないのか?の区別は普通はできませんし、普通はしません。私にしてみれば、そういった他人の人生の断片だけを掴んだ人間が、まるで全てを知ったかのように平気で他人を「甘え」と批判する様子は、見ていてとても滑稽な光景に映ってしまいます。


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