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「人物重視」に傾注した公務員試験は公平も公正も捨てている

公務員試験講座を開いている資格試験予備校にはよく「公務員試験は公正、公平な試験です」という記述が見られます。建前上は公務員試験はそういった性質の試験でしょう。しかし、実際に公正、公平か?というと、決してそうは思えない部分が非常に多いです。予備校はちゃんとそういう風に採用されていますよ?みたいなことがホームページにも書かれていたりしますけど、それが真実とは思えないんですよね。

というのも、予備校の場合はそうでも書いておかないと、受講生が集まってこないでしょうから経営上そう書かないと仕方ない部分はあるでしょう。ですから、そこを考慮してここで責めませんが、実際の公務員試験はどういう試験になっているのか?ご存知ではない人も多いでしょうから、ここで詳しく紹介もしていきたいと思います。国家公務員と地方公務員では若干異なり、特に私がおかしいと思っているのは地方公務員の採用試験のやり方です。地方公務員の試験は択一試験、論文試験の筆記試験でまずある程度絞って、その合格者を面接、グループディスカッションなどを行って最終的に合格者を決めるというものが多いです。

近年は「人物重視」というよく分からない採用基準が流行っているようで、面接官の恣意的な採用が増えるだろうという懸念があるわけです。人物重視なんてのは勿論民間企業でも行っていますけど、別に民間企業は独自で採用の仕方を決定できるわけですから、いくらでも人物重視をしてもそれは企業の勝手と言えるかもしれません。それは公正、公平というのは民間企業の場合は別に目指す義務もないでしょうし、それが損なわれても就活生から文句が出うるくらいでそんなに問題にはならないでしょう。

ただ、公務員はやはりそれを実現する義務があると思います。要するに客観的に能力によって順位をつけて、その順位の上から採用していくのが本来の形だと思うんですよ。しかし、人物重視の公務員試験ではそれは非常に難しい。特に面接試験の比重が高いと言われている地方公務員では、面接のできない受験生はほぼ合格が難しい。筆記試験がどれだけできたとしても。客観的に能力を測れる筆記試験は蔑ろにされ、面接官に好みに依存しやすい面接試験のウェイトを上げるのは、まさに人物重視そのものなんですが、これによって建前となっている公正さと公平さはほぼ姿を消しつつあります。

そういった隠れた真実、多くの受験生や公務員試験には関係ない人たちにとってまず知れ渡らない公務員試験の真実を語ってくれているのが「公務員試験のカラクリ (光文社新書)」という本になります。私もこれ買って読んでみましたけど、へー。って思える部分も多く、知っているつもりだったけど、知らなかったことも多かった。そういう気分になる一冊ですね。例えば、何で数的処理なんて科目は存在するのか?何で公務員試験の筆記試験って、こんなに科目多いの?面接では一体何を見ているの?といった誰もが知りたい素朴な疑問について暴露してくれています。公務員試験の受験生にとっても非常に参考になったり、公務員試験全体に対して理解が深まる一冊だと思うので、暇なときに読んでみてほしいと思います。

そして、話は戻りますけど、問題なのは面接試験のウェイトの高さです。公表されていない自治体も多いのですが(配点が公表すらされないのはまた問題だろう)、公表されているところを見ると、筆記試験の2倍以上はあるところが多いです。これによって、筆記試験ってもはや足きりじゃね?何のための30科目近くも課してるの?という疑問が沸いてきます。私は完全な公正性、公平性を目指すことは難しいですし、面接試験などの人物重視の試験をなくせ!!とも思いません。

ただ、民間企業の真似をするようになった頃からか?行き過ぎた人物重視の試験になっている気がします。民間企業で面接をやらないところはほぼないでしょうから、「面接試験」というそれだけ素晴らしい採用方法だという認識が多くの人たちに共有されているのでしょう。ですから、人物重視で面接試験のウェイトを上げても、別におかしさを感じる人は出てこないのでしょうね。公務員試験は民間企業のような性質の採用試験ではあってはいけないと思っています。

ですから、せめてバランスはとってくれよと。筆記試験の下位者が簡単に面接で逆転できてしまう。これってどうなんでしょうか?いやいや、人柄が評価されたんだろう!という反論がきそうです。ただ、評価したのはその場にいた面接官だけなんですよね。よく面接官が変われば評価が、合否が変わると言われますが、それがその通りなら(おそらくその通りでしょう)その人が優秀であるという客観的な評価は下せません。評価を下すのは人間なんですから、これはどうやっても公平に審査をすることは無理です。ですから、面接による評価は客観的な能力が評価されたことにはならないのです。

だからといって、私は先ほども言いましたが、面接をやめろ!とは言いません。面接しないと分からない点はどうしてもあるからです。ただ、狂ったように民間企業のような大掛かりな面接試験をやっているのはさすがに私は異常だろ・・・。と思います。人物重視をすれば、良い人材がとれるという盲信さが公務員試験における公正性、公平性を失わせる結果になってしまいました。

結果的に見て誰の目から見ても明らかな部分が少なく、たった2、3人の人たちによって選ばれた人が公務員をやっているという現状があります。「過ぎたるは及ばざるが如し」にならないように、日本の公務員試験は私は行き過ぎた人物重視を見直すべきだと思っています。論文試験だって、結局は採点基準などは明らかではなく、正解、不正解は不明なまま採点者に依存する体制は変わりありません。

人物重視を激化すれば、それはそれで国民は喜ぶのかもしれません。ただ、公務員試験という試験の性質上、出来る限り公正であり、公平である試験にしないといけない義務があると思います。ですから、客観的な優劣が把握できる筆記試験中心に、それが確保できない面接試験などの人物重視の試験を、部分的に組み合わせた折衷案を私は提案したいですね。それで十分だと思うんですけど。

公務員試験に関係のない国民は別に何とも思わないでしょうけど、公務員試験を受験している受験生が1番腑に落ちない点でしょう。また、公務員を選ぶ立場にある公務員は満足かもしれませんが、それを受験する受験生の心には納得のいかない部分が多いでしょう。客観的な優劣が測れない試験が賞賛されるのはある意味違和感を感じます。結果的にどんどん公務員試験が「適当」になってきている感が私には否めないのです。



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