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人の死に差をつけてる?条件を満たさないと起きない「自粛ムード」

大惨事とか、人の死に対する印象はその出来事の深刻さ、もっと言うとどれだけの人が巻き込まれるか?(亡くなるか?)によって変わってくるでしょう。先の話題で言えば、韓国で起きた客船の沈没事故では数百人の方が亡くなっており、日本でもその模様が連日報道されています。韓国では、国民全体が自粛ムードになっていると聞き、東日本大震災のときと同じような様相を呈しています。

日本でも、当時は本当に自粛ムードって感じでした。国民性がそういう風なのかもしれませんが、他人が苦しんでいるのに、自分だけが幸せを満喫するというのが耐えられない人がいたというのは事実だと思います。大学の卒業式までもが開催されなかったということも聞いており、それはやり過ぎというか、学生側が自主的に参加しないのはまだしも、大学側が勝手に中止にするのは大問題だと当時思っていました。

しかし、人が亡くなるなんてことは日本の中でいっても日常茶飯事です。毎日誰かが亡くなっています。しかし、それについて気にかけている人はいないのではないでしょうか?今回の韓国の沈没事故、日本の東日本大震災で亡くなったというのは、多くの人にとっては全く自分とは縁がない他人だったと思います。しかし、その亡くなった人たち、被害に遭った人たちに対する印象がまるで違います。そして、世の中の空気も。

私の記憶だと、今から10年くらい前に新潟中越地震という大きな地震が起きました。それから数日後に放送予定だったアニメ「ブラックジャック」の内容が地震に関する内容を含んでいたことから、差し替えになってしまいました。これは当然地震の被災者に対する配慮だと思うのですが、じゃあ、同じようなことを挙げると、連日どこかで殺人事件は起きているのに、サスペンスもののドラマは放送中止になったことなんてない!(少なくとも私の記憶では)この差は何なんだろう?って、ずっと思っていたのです。

殺人事件に巻き込まれた被害者や遺族に配慮しないのか?ということが考えられるわけですが、要はそれがどの程度で起きるか?そして、その規模が重要なんじゃないでしょうか?大地震は数年に1回とか、何十年に1回とかのレベルですが、殺人事件は毎日のようにどこかで起きているから、国民が慣れてしまっている。そして、大地震が仮に起きても死者が例えば数人とかであれば、なかなか東日本大震災のときのような世の中の空気にはならないのではないか?と予想します。

自粛ムードが起きるか?実際に被害に遭った方々のことを思いやるか?どうかを決定付けるのは、その類似の出来事の発生頻度と規模(被害や死傷者数)で決まるのではないか?と。私もはっきり言って、東日本大震災のときには世の中の空気に流されてしまいつつありました。私は発生から1週間後くらいにゲームセンターに行こうとしたら、電力供給の問題で営業がされていなかった!ということをツイートしたら、ある人から「こんなときによくゲームセンターに行けるよな」という皮肉めいた返信が着たことがあります。当時はそういう人を「不謹慎厨」と呼んでいた人もいたみたいで、私もスルーしていましたが、別のところでは「自粛ムードばかりでお金を使わなかったら、経済が回らないからそれは被災者にとっても良くない」という意見もあり、今となっても私は後者の方が正しかったのではないか?と思っています。

世の中の空気がそういう風になるのは、ある程度仕方ないことです。しかし、私は世の中の空気とは関係なく、その場その場で何が正しいのか?をできるだけ判断して行動したいと思っています。そして、他者の命に対する見方もできるだけ空気に流されないようにしたいと。日本大震災で亡くなった人も、何でも交通事故で亡くなった人も、それが報道されたときには同じような気持ちで弔いたいと思っています。人の命の差に対して、リアクションに差があるというのは、どうも自分としても納得いかない部分があるというか、これが人間なのか?と思う部分があるわけで、人間の自然な感情や思考に逆らう生き方かもしれませんが、少なくとも私は全ての生命をできるだけ平等に見たいと思っています。


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