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黒人に対する真の意味での人種差別や偏見は永遠に消えない

近頃、黒人の人に対する人種差別が話題になっています。NBAやサッカーのリーガエスパニョーラなどで、黒人選手に対する人種差別ととれる発言、行動があったらしく、ニュース沙汰になっています。どちらもその発言、行動をした本人はかなり重い処分を受けています。黒人に対する差別は数百年も前は、もっと多大な問題を孕んでいたために、それから数世紀経った今でも懸念をしている人は多いのでしょう。

黒人は奴隷同然の扱いをされていた歴史があるということは、非黒人の中には黒人に対する偏見を持っていた人が多いということです。それから時が経ちましたが、じゃあその偏見が完全に消えたか?という、そんなわけはないと思います。こうして公の場で露呈することになっているものだけではないはずです。人の心の中には間違いなくもっと多く存在すると思います。

誰だって、気に食わない人とかいると思うんですよね。テレビに出ていて、多くの人の目に触れている人は特に多くの人から妬まれたり、恨まれたりすると思います。別にその人が誰かに対して危害を加えたわけでもないのに、嫌いという人はいるでしょう。実は黒人に対する差別的な目もそれと似たような事情がありそうです。少なくとも、黒人から何らかの危害を加えられていない人でも、黒人に対して良い印象を持っていない人はいると思います。これはその人が悪いというよりは、人間であれば、こういう面もある程度は致し方ないと思います。

問題はそれを口にしたり、公表したりすることです。つまり、公の場でその差別的な目を持っていることが露呈してしまうと、今回のような騒ぎになるのですね。黒人に対する差別撲滅はずっと訴えられ続けていますが、差別撲滅とは一体どういう状況を指すのだろうか?社会の中で客観的な差別的発言、行為がなくなればそれは撲滅といって良いのだろうか?心の中に黒人に対する偏見や差別的な目が存在しても、それが露呈しなければ良いのだろうか?

もしそうなら、現実的にも黒人に対する差別を撲滅することは可能かもしれません。しかし、真の意味での黒人の対する差別は、誰もが見える形で存在するものばかりではありません。心の中に留めて我慢している人もいるかもしれません。私だって、あまり好きじゃない人はいます。それをこのブログで発表したら、その本人とか、有名人ならファンからもバッシングを浴びるでしょう。だから、しません。

それと同様に内に秘めている何かしらの嫌悪感は撲滅不可能ですし、撲滅しないといけないものでもないと思います。やり過ぎると、単なる思想統制になりそうな気がして、人間が人間じゃなくなる恐れが出てくる。誰かが誰かに対して差別的な目で見るということは、別に黒人差別だけではなく、他の例でも十分ありえることです。そういう意味でいうと、黒人差別を含めて、何らかの差別を完全に撲滅することは不可能だと考えます。

というか、現実的にはそれが露呈しなければ基本的には問題は起こらないと思います。一応、この国では憲法上、内心に留まる思想はどんな反社会的なものであっても、それを推知したり、処罰を課してはならない。ということになっていますので。そういった理由で、人々の内心に留まる黒人に対する人種的な偏見、差別までは根絶不可能ですし、根絶に乗り出すべきじゃないのかもしれません。昔は日本でも、共産党員じゃないことを告白させるようなことが行われていたようですが、今はそんなことを誰もしないでしょうし、やるべきではないと思っている人が多いんじゃないか?と思います。

じゃあ、仮に露呈したときにはどうすれば良いのか?私はスルーすべきだと思います。少なくとも、それに対して怒ったり反応を見せると、差別をしている側の思う壺です。ネチケットでは、「荒らしはスルー」という一種の暗黙のルールみたいなものがあります。これは荒らしに対して、反応する人も荒らし同然だという見方をされるのです。差別をする人はからかっているという思惑もあると思いますが、それに対して何のリアクションもなければ、やっている方としてもつまらないでしょう。それが何回も続けば、からかう方も面白みがなくなって、いずれ止めますよ。そういうもんだと思います。


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