トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

萱野稔人氏のベーシックインカム反対論は論破する余地がありすぎる

以前、とあるラジオ番組で経済学者の飯田泰之氏と哲学者の萱野稔人氏がベーシックインカムについてのプチ討論みたいなのを行っていました。飯田氏はベーシックインカムに賛成で、萱野氏は反対という立場です。私自身はベーシックインカム自体には賛成ですので、聴いていて疑問に思う点がかなりありました。

音源を聴きたい方は「http://www.nicovideo.jp/watch/sm9916936」からどうぞ。

萱野氏がベーシックインカムに反対する理由は以下のようです。

1.最低賃金の意味がなくなる
これはどこが問題なのか?私は全く意味が分かりません。そこに間を取り持っているアナウンサーから「最低賃金がなくなると、どういう問題があるのでしょうか?」という鋭い指摘が入ります。そこで、萱野氏は「えーっと・・・」と、かなり言葉を詰らせながら、「いや、だから時給10円とかの労働ができてしまうわけですよ。それが問題なんです」と言っていましたが、それの何が問題なのか?が結局見えてこないんですよね。この人は倫理の問題を言っているのでしょうか?

不当に安い労働なんて今でもあるわけで、それが今の場合は生きるためにそういう不当な賃金の労働でも呑まないといけない人たちが多くいるわけですよね。それが仮に時給10円の労働が生まれたとしても、生きるためにわざわざそういう不当に安い賃金の労働に従事する必要性のある人はいないですよね。

要するに、待遇が明らかに劣っている現場で働いている人が「親なら辞めろ」と言われて、なかなか辞められないのが素直に辞められる。またはそんな労働には鼻っから誰も注目しないだけであって、そういう時給10円の労働が存在して困ることはないと思います。別に時給10円でも良いという人がいれば、別に本人の自由ですから良いでしょうし。さらに言うと、最低賃金については法律で規制できるのだから、仮に大問題なら、最低賃金の法律を残せば良いだけの話です。

そして、賛成派の飯田氏は「最低賃金の意味がなくなるのはむしろメリットだと思います。賃金がいくらか?というのは当事者の合意で決めれば良いことじゃないですか?」と言います。それに対して萱野氏は「いや、合意といっても労働の契約は常に不平等な契約じゃないですか?それに対してお互いが合意ってのはできないと思うんですよ」と反論します。

しかし、本当にそうでしょうか?現状では明らかに労働者の方が立場的に下であり、ある程度妥協してでも仕事を見つけないといけない面はあると思います。それは最低限の生活が保障されていないからであって、ベーシックインカムによって最低限の生活が保障されれば、ある程度労働者の側も強く出られるはずです。

少しでも自分の納得のいく仕事先を探すことができるでしょう。また、自分の希望が叶えられる仕事が見つからない、つまり雇用主と合意が得られない場合も、仕事をしないという選択肢はあるわけです。仕事をしなくても生きていけるのですから。ベーシックインカムという保障を盾にして、労働者側もある程度自分の希望を前面に出していけるはずです。

そして、雇用主側もその事情は理解するでしょうから、以前のような強気なことは言えず(強気に出すぎてしまうと、労働者が1人も集まらなくなり、倒産の危機に直面する)、ある程度譲歩を余儀なくされ、合意に至る可能性は高いのかな?と思います。


2.同じ財源なら、生活保護や公共事業という使い道もある
公共事業については、社会的弱者を救うために未来永劫やらないといけないものですよね。公共事業の目的は必要なモノを作るというよりは失業者を救済するために、必要かどうか分からないモノを作るというものだと思います。公共事業というものを通して、わざわざ仕組みを複雑にして、生活困窮者を救うプロセスって、手間もそうですけど、やっぱり余計にお金がかかる部分が大きいような気がします。

白田秀彰氏は「公共事業はモノができるだけなら良いけど、無駄資源や環境を浪費している。ならば、お金を配った方がマシ」と言っていました。それはさすがに国民が許さないでしょうけど、合理性の観点からいうと一理あるのかもしれません。

また、生活保護に関しては明らかに生活に困っている人全員を救えるシステムになってないわけですよ。受給漏れは確実に起きているし、餓死する人も当然出ています。生活困窮者1人1人に個別に対応して、そういう問題が出てくるなら、最初から大きな網をかけてあげて、国民全員をまとめて救ってあげるシステムの方が社会保障としてより適切な策だと思います。


3.働くことこそが社会参加であり、人間の尊厳を確保できる
そして、最後には萱野氏は「働くからこそ社会参加であり、重要なファクターである。人間は働くからこそ尊厳だとか、承認を得られる」と言っていました。これは彼が公共事業を推薦する理由にもなると思うんですが、これは私が以前、「ベーシックインカム反対派の「働かざるもの食うべからず」という言葉は時代錯誤も甚だしいのではないか?」の記事で批判した人たち書いたことと同じことを言っていると思います。まず、社会参加は別に労働だけじゃないこと。そして、人間が強制的に社会参加する謂れはない。さらにはこういった指摘は単なる余計なおせっかいだということが反論として挙げられると思います。

働くのが尊厳だとか、承認だとか思う気持ちは否定しません。それは萱野氏の自由だと思います。ただ、それは真理じゃなくて、あなたの意見に過ぎないわけで、それを強制される謂れはないです。萱野氏がそう思うのであれば、今まで通り社会参加するために、尊厳や社会参加をするために働き続ければ良いと思います。ベーシックインカムが導入されても、萱野氏の思想は全く害されません。その1個人の思想を万人に強制しようとする姿勢はまさにおせっかいだろうと思うわけです。

また、ベーシックインカムは経済成長に対する裏切りだとも言っていました。ならば、餓死者を出している現行の生活保護制度は社会保障の国民に対する裏切りにはならないのでしょうか?こっちは人の生命が懸かっているものであり、裏切りの度合いとしてはとても大きいと思うのですが。最後の最後には「ベーシックインカムである必要性がない。公共事業といった、仕事を与える形が良い」と言っていました。その根拠が結局、彼の意見を通して見えてこないんですよね。

ベーシックインカムが公共事業や生活保護よりも優れている点は確実に国民全員の生活の保障ができるという点です。これは一律給付ではない生活保護や公共事業では不可能なことです。現状でも餓死者が出るのはおかしいと思うわけです。それをほぼ100%なくせるだけでも相当なメリットになりうると思っていて、それこそがベーシックインカムがこれら2つよりも優れている理由だと思いますし、生命の保護が中心に据えられている点で、他の何物にも代えがたいメリットになると思います。だからこそ私は賛成なのです。


ランキングに参加中です!良かったらクリックお願い致します!→ ブログランキング・にほんブログ村へ
関連記事

 
トラックバック
トラックバック送信先 :

プロフィール

Auther:さいてぇ(管理人)

ハンカチ世代の零細フリーランサーです。毎日とても眠くて起きるのが大変です”_| ̄|○”ハァハァハァ


ブログパーツ

スポンサードリンク

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム