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生活保護の不正受給の対策としての現物支給案は問題点がデカすぎる

「生活保護」というワードを聞いて、良いイメージを持つ人は少ないでしょう。それだけ多くの人にとって生活保護制度は嫌悪感を持つものであり、中には早く廃止してほしいと思っている人もいるみたいです。生活保護廃止論、または現物支給案を唱える人は結局、自分本位でしか物事を考えられない人だと思います。

社会保障というのはそれを受けるひとの生活水準を上げること真の目的とするものであり、それを達成できない、または著しくデメリットが大きくなる案はそもそも採用されようがないのです。例えば、先に言った現物支給案も生活保護の不正受給を根絶するためのものとして考えられたものだと思われます。

現金で配られるものが現物になれば、不正をしてまで貰うという誘引は下がると思います。ただ、よーく考えてみるとおかしいわけですよ。このブログでは何度も日本の生活保護の不正受給の割合を示してきましたが、約2%弱です。2%の不正受給を減らすために、98%の人が迷惑を被るって何よ!?って話です。

実際、現物支給になれば配るモノの費用は現金で渡すときよりも下がるかもしれません。ただ、モノを調達するコスト、何を調達して配れば良いのか?考える労働時間によるコスト、それらを行うための人件費などが加わると、これは現状の生活保護でかかっている費用を越えそうな気がします。ちゃんと試算してみないと分かりませんが。仮に今より余計な費用がかかるとなると、一体何のために現物支給にするのか?分かりませんね。

現物支給にしたら、不正受給は減った。しかし、不正受給を含めた今かかっている生活保護費用よりも、現物支給の方が費用が高くなった。これだと、不正受給が多い現状の現金の制度の方が良いのではないか?となります。例えば、堀江貴文氏が「万引きされる商品の方が店員を雇う給料よりも安ければ、コンビニは店員はいらない」と言っていたことがあります。何だかこれと同じような状況のような気がします。

結局、現物支給にした方がお金がよりかかるのであれば、それは一体何のための策なのか?が分からなくなってしまいます。不正受給を減らすことは良いことなのですが、少なくとも現物支給案では不正受給が減るというメリットを、負担すべきコストが増えるというデメリットが越してしまう可能性が高いため、現実的に実施する旨味がない。それどころか、まともに受給している98%の人が何の謂れもない被害を被ることになります。

また、現金を配るのであれば、その金額の範囲内で自分の都合に合わせてある程度自由に買い物ができます。アレルギーのアル食べ物を買わないといったことだけではなく、薬を買ったり、病院に行ったりという生命にかかわりのある買い物も不自由なくできるはずです。ただ、現物支給にすると、こういった重要なモノに対してどうやって配給していくのか?が問題になります。下手すれば、生命にかかわるモノを行政が210万人以上の人間を個別に把握して、適切に滞りなく、配ることが現実的に可能でしょうか?210万人以上の人たちに個別にミスなく対応する?それはどう考えても不可能です。

それが確実にできないと、体調を崩す人、命を失う人が出てくるかもしれません。そして、そうなることがあらかじめ予見できた人、生活保護は自分たちを救ってくれる制度ではないと悟った人は盗みに入って、自分の必要なモノを自分で手に入れるかもしれません。世の中がどんどんおかしくなって、治安が悪化する方向へ向かう気がします。

それでも、現物支給案を唱える人たちはおそらくあまり減らないと思います。彼らが不正受給対策のために現物支給案を主張するのは、多くはコストの合理性の問題ではなく、自分たちの平穏な感情の確保という非合理的なものだと思うからです。自分たちの感情を最優先ということはなかなか声を出しにしては言えないため、「不正受給」というもっともらしい盾を持って、現物支給案を主張するのでしょう。

実際、国民感情からしたら許しがたいパチンコとかに使う人がいるわけですが、結局それも先ほど言ったように圧倒的に少数派であり、残りの人たちがどうして巻き込まれないといけないのでしょうか?そして、パチンコはダメでパチンコ以外の趣味はあまりバッシングは受けませんね。ここも疑問です。ここもイメージの問題というか、感情論でしょうか。

「パチンコは無駄使い」という人が多いのですが、ネットで探してみてもパチンコがダメで他の趣味は許される明確な根拠がどこにもないのです。パチンコは無駄使いで、オリンピック選手に使われる国費は無駄じゃないのでしょうか?はっきり言って、多くの国民にとって、オリンピック選手へ税金を使うことはメリットがあるとは思えません。メリットがあるのは選手本人やその関係者、そして応援している人たち。彼らはメリットがある=税金をわざわざ投入する価値を見出せる人たちです。

経済学者の飯田泰之氏が以前、ラジオで「何をすると満足か?というのは人によって異なる」と話しており、結局、税金を投入する先が何であろうと、それについて何らかの関係性を持っている人しかその価値は見出せませないのです。自分にとって関係性のないものは全部無駄使いになります。例えば、私の住んでいる街にある図書館だって、私が仮に利用していなければ、私にとっては図書館を建てるのに税金を使うことは無駄使いになるでしょう。無駄使いか?そうじゃないか?は1個人が簡単に判断して良いものではないと想います。

あるブログには以下のように書いてありました。

生活保護受給者への現物支給とやらは、生活保護受給者バッシングという生命にかかわる暴力行為が盛んな今の日本では、生活保護者に「貧困状態にある私を皆でいじめてよいと政府が許可しました」というバッジを常につけて歩くことを義務付けることに等しいのです。

全員がそうではないにせよ、彼らの腹のうちを探ると、結局は「受給者に好きなように(特に使ってほしくないものへ)生活保護費を使わせたくない」という気持ちが強いのだと思います。それが集合的になって大きくなってしまうと、国民による社会的弱者のいじめ構造ができあがってしまう恐れがあります。

かなり偉そうなことを言ってきてしまい、非常に恐縮なのですが、私もどちらかというと社会的弱者の1人だと思います。生活保護は決して他人事ではなく、誰にもかかわりのあるものだという認識が少しでも広まれば、こういう見方は減るかもしれませんね。


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