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「仕事ならいくらでもある!」←だから何だ?としか言いようがない

以前、大阪府岸和田市の男性が生活保護の申請をしたところ、それを市の職員に却下され受給することができないという事態がありました。そのときに市の職員が放った言葉の中に「仕事ならいくらでもある!」というものがあったそうです。

この言葉は実はリアル、ネットを問わず結構頻繁に使われている言葉です。こと「仕事ならいくらでもある!」という言葉は現在ニート、または失業中の人たちに対して「仕事を選ばないで、働けるところでさっさと働け!」という意味合いも含まれていると解されます。

確かに多くの人が言うように「仕事ならいくらでもある!」という言葉は事実でしょう。ですが、それはそもそも生活保護の支給を認めない反論として適切なのでしょうか?仕事はいくらでもあるとしても、仕事をするために、雇ってくれる人の存在が必要なのですが。

現実問題として、「この仕事をしたいと思ってきました!」と言って、「じゃあ採用ね!」なんて気前の良い会社はまず存在しない。面接という名の審査にかけられるわけです。つまり、仕事がいくらあったところで、何の解決にもならない。”その人”を雇ってくれる会社が存在しなければ意味がないのです。しかも、違法な労働を行わせない会社でなければいけません。

そして、もう1つこの言葉の中には「仕事をえり好みするな!」という意味合いも含まれているのではないか?と話しました。実際、えり好みさえしなければ確実に雇用される会社があったとしましょう。本人ははっきり言ってそこで働きたくありません。でも、そこに無事就職できたとします。

これで一件落着とはいかないでしょう。本来であれば選ばないような仕事を無理矢理選んだということは、おそらく労働者にとってもそこは働くモチベーションを確保できない仕事なのでしょう。したがって、すぐに辞めるのではないでしょうか?それか、まじめに働けずに解雇されるか。

これに対しては「嫌な仕事でももっと真面目に働け!」という反論がきそうですが、実際問題として、おそらくこうなってしまうでしょう。この反論自体はそこまで不適切だとは思いませんけど、実際問題そんな理想論を語っても意味がないと思うのです。

心の中で苦痛を感じている仕事をいくら真面目にやっても、例えばミスが頻発したりという事態は避けられません。モチベーションの低さが仕事の成果に出てしまうのは必至ではないでしょうか?

このような事態は労働者側にとっても、この労働者を雇用した企業側にとってもマイナスですね。結局、えり好みをさせないで、無理矢理仕事をやらせても良いことはないんですよ。実際には、面接の時点で働く意欲がもてない会社に対してまともな受け答えはできないしょうから、雇用されること自体難しいでしょうし。

結局、これも先述した「仕事ならいくらでもある!」→でも、そのいくらでもある仕事の中で雇ってくれる会社はどれだけあるのでしょうか?そして、それは労働者も企業も両方がハッピーになれるものなのでしょうか?

「何でもかんでも嫌だ!」というさすがに問題だとは思いますが、仕事を希望順位の高いところから受けていくというのは十分許せる行為だと思います。むしろ、そうしないと労働者も企業も困るだけなんです。「仕事を選ぶな!」ということを意図した言葉はその言った本人の自己満足に過ぎず、社会的合理性のない主張なのだということです。

そして、この岸和田市の男性は市を訴えて、見事勝訴したそうですね。今は生活保護が支給されて暮らしているのでしょうか?ただ、生活保護が支給されたからといって、働かなくて良いというわけではありません。この男性はそれをおそらく分かっているでしょうから、できるだけ自立できるように是非頑張ってもらいたいと思います。
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by ケノーベル エージェント on 2013/11/12 at 09:13:47

岸和田市エージェント:貴殿の記事ダイジェストをGoogle Earth(TM)とGoogle Map(TM)のエージェントに掲載いたしました。訪問をお待ちしています。

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