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手間や時間をかけるものは、それをかけないものより優れているという価値観は正しくないと思う

>仕事が忙しく、料理を作る時間がないときに便利なのがコンビニ食だ。共働き世帯が増える中では、利用する人は多い。

しかしそんな状況を苦々しく思う人もいる。はてな匿名ダイアリーには4月30日、「セブンイレブンのCMにものすごく違和感を感じる」という投稿があった。投稿者はセブンイレブンのCMを見て、親子でニコニコしながらコンビニ食を食べるシーンに違和感を覚えた。

子どもにとっては、そもそも味ではなく、「忙しい時間と手間をかけて『自分たちの為に』作ってくれる愛情が嬉しい」と主張し、

「それをまぁインスタントに提供されているのにニコニコしている子供の姿に、なんとなくもやもやとするのだ」

と書いた。
「手料理でなくても愛情は示せる。これをやらないから愛情がない、ではない」

コンビニ食では愛情を感じませんか?

投稿者は決してコンビニ食を否定しているわけではないが、コンビニ食を食卓に出すのは温めただけであり、母親が握ったおにぎりの方が100倍くらい美味しいと主張する。また添加物や栄養の偏りなども指摘し、自分のために時間と手間をかけられることもなく出された食事で喜ぶ子どもが理解できないという。

投稿者の母親は共働きの中で家事と育児をこなし、睡眠時間は毎日4時間という中でも食事はきっちりと用意してくれたという。弁当も作ってくれ、冷凍食品を使うこともまれだったため、このような食事は「愛情として思い出せる」と綴った。

この投稿には約600件のはてなブックマークがつき、ネットで話題になった。「手料理ではない=愛情がない」という投稿者の決めつけに対して、反論が続々と寄せられた。

「手料理でなくても愛情は示せる。これをやらないから愛情がない、ではない。自分の物差しで他人の愛情を図るのは不快」
「手作りじゃなかろうが美味しいものを食べたら笑顔になるのは変じゃないし、手づくりじゃなかろうが大切な家族と一緒に食べるごはんで笑顔になるのは変じゃない」



これは「「「コンビニ食には母親の愛情がない」匿名ブログに反論続々 「自分の物差しで他人の愛情を測るな」」」に載っていた記事です。私が初めに言っておきたいのは、「時間や手間をかけたものほど良いもの」という価値観は決して正しいとは思わないということです。日本のみならず、世界中でも、時間や手間をかけたものの方が良いものとして扱われることってあると思うんですよ。日本で言うならば、手書きの履歴書とかがそれに当たるのかな?欧米では手書きで履歴書を書いてくると、その時点でダメらしいが。日本にはその風潮は根強くある。でも、私は時間や手間をかけたものの方が良いという価値観は正しくないと思っている。

正しくないという言い方をしたのは、間違っているとは思わないからだ。価値観というのは、人それぞれが抱えるものであり、十人十色で良いと思うのです。だから、コンビニ弁当を手作りの食事よりも下に見る人がいてもそれは構わないと思っているが、それを強要しないでほしいとも思っている。少なくとも私はコンビニ弁当が手作りの下とは思っていない。どっちが上になるか?はケースバイケースだ。私の場合は少なくとも学校給食よりはコンビニ弁当の方が好きと感じる場合が多いという人間なのです。

私は小学校のときに給食だったんだけど、その日によって給食のメニューは違うし、嫌いなメニューの日がどうしてもあると思うのです。要するに食べるものを選べないというのが問題で、その給食にどれだけ手間や時間をかけられていても、嫌いな日のメニューは食べたくなかったし、特定のコンビニ弁当の方が絶対に美味しいと感じたはずです。コンビニ弁当の中にも嫌いなメニューはあるはずだが、その率で言えば多分コンビニ弁当の方が少ない気がします。また、コンビニ弁当を買うときというのは自分で好きなものを選べると思うので、そこは大きいです。もちろん、メニューによってはコンビニ弁当よりも給食の方が美味しいと感じる日もあったでしょうから、私にとっては美味しさが最重要項目であって、手間がかかっているか?どうかはほとんど関係ないのです。

例えば、学校で定期試験や大学受験の模試、または本番の入試などを受けていて、2択で迷うみたいなことあると思うのです。そのときにみんなは時間がある限り、最後まで考えると思うんです。どっちが正解か?ということに関して、制限時間が残っている限り考えますよね。でも、これって本当に正解の行動か?どうかは怪しいと思います。つまり、制限時間いっぱいまで考えないで、直感で解答をした方が良い場合もあるのです。これは実体験として多くの人が経験しているのではないか?と思いますけど、例えば2択で迷っている問題をとりあえず解答したが、後でじっくり考えてみて解答を変えるというケースがあるはずです。でもその結果、間違えたみたいなケースもあるのではないでしょうか?

じっくり考えた結果、間違いの解答を選んでしまったということは、このケースではじっくり考えない方が良かったとなります。つまり、この例えでは、時間や手間をかけた方が間違いというケースがあるということの証明になります。実際、確固たる根拠はないのかもしれないが、予備校や塾講師の人が「テストで解答に迷ったときには先に選択した方が正解である可能性が高い(後から解答を変えると不正解の確率が上がる)」ということを言っていたことがあります。予備校や塾の先生までもが、手間や時間をかけないで解答を出した方が良いと言っているのです。人生においては同様の例がいくつもあると思います。その1つが先ほど挙げた手書きの履歴書なんでしょう。履歴書をわざわざ手書きをして、手間や時間をかけることを批判する人は日本でも結構いますから。

食事に関しても、コンビニ弁当が手作りのものと比較して、手間や時間をかけていないのはその通りかもしれない。しかし、だからといって手間や時間をかけた方が正しいとか、上になるわけではない。さっきのテストの例は正解があるケースです。正解があるケースですら、手間や時間をかけないほうが良い場合もあるわけです。そうなると、価値観という正解がないケースにおいても、同様に手間や時間をかけない方が良いと言えても不思議ではないと思います。コンビニ弁当だって美味しいものは美味しいので、私はメリットも感じていますし、評価してますよ。
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