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最近よく見るワードで「萎縮社会」というものがあります。最近になってこういう言葉が使われる機会が多くなってきたってことは、そういう社会に日本がなってきているということでしょう。萎縮社会っていうのは、人が起こす何かしらの行動にケチをつける、非難する人間がいるため、そういう行動をとりづらくなってきているという面を表現しているのではないか?と思いますが、まさにそういう面は日本にはあるでしょう。

例えば、震災において援助活動や募金活動をしたら、偽善者と言われたりするようなケースがそれかな?あなたには関係ないじゃん!と言ってしまえばそれで終わり。というような非難が確かに多い気はする。だいたいこういうのは関係ない第3者が批判をするケースが多く、おまけにその批判は誰かを幸せにするとは思えないような批判であることもあるので、批判というか悪口にも近いものも中にはあるんじゃないか?と。

最近の話題で言うと、東大の女子大生を一緒に連れて、機内でガイド役をしてもらうというHISの企画が、セクハラとか、女性差別とかいう批判で頓挫した。この企画に関係あるのはHISと東大の女子大生と利用する客だけ。もちろん、この批判を言っているのは、このいずれの人間でもない。第3者になります。HISはもちろんだが、東大の女子大生も良いバイトになるんだろうし、利用する客としても楽しい時間を過ごすことができる可能性がある。

つまり、3者が全員納得して生まれた企画ならば、HISの会社の人間、東大の女子大生、利用する客以外の人間が文句を言うことで、一体何のメリットがあるのだろうか?私は思いつかないのだが。こういう批判により、HISは企画を中止してしまい損だが、東大の女子大生は収入が入ってこなくなり損、楽しみにしていた客も損、3者とも損だろう。つまり、メリットがあるどころか、デメリットを生んでいる結果になっているケースが萎縮社会と揶揄される場合には多い気がする。

萎縮社会と揶揄されるようなケースで多い批判は、誰も幸せにしていないケースが多いならば、当然その批判おかしいと結論付けられる。多くの人がそういう目に遭っているのではないだろうか?何でそんなこと言われないといけないの?と思った瞬間が多くの人にもあるのではないでしょうか?それがまさに今話題になっている萎縮社会そのものだと思います。そういうときにはある一言を言ってあげれば良い。

「で、その批判は一体誰を幸せにするの?」と言い放てば、たいていのケースではまともな返答は恐らく返ってこない。そういう批判はだいたい誰かを幸せにするために言っているわけじゃないからだ。自分の価値観などに照らして、どうもおかしいんじゃないか?と思ったからこそ出ている批判なんじゃないか?と思う。簡単に言うと自己満足ですね。だから、こういう形で反論すれば、何もいえない人が多いんじゃないか?と思いますよ。

萎縮社会を改善させるのはかなり厳しい。それはそういうことをする人があまりに多いから。あと、そういう意識がないままやっていて、萎縮社会を作っている張本人だと、気付く人はほとんどいないはずでだから。人間って言うのは感情があるから、どうしても合理的な未来予測をして行動することが難しい。だから、誰かを幸せにするわけでもない批判をしてしまうのだ。だから、この萎縮社会を改善するのは無理だと思います。萎縮社会の訪れは、日本という国が益々生きづらくなったことの1つの現象にもなるでしょう。
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