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裁判員制度の量刑の決め方の問題点!ばらつきがある傾向はマズイ

裁判員制度については、いろいろと問題点が議論されていることも多いですね。裁判員制度は素人が裁判に関わる点がよく言われていたりしますが、私は素人だろうが、玄人だろうが、そこは問題じゃないと思っています。裁判員裁判になると、量刑も決めないといけないことがあります。量刑に関して、ある記事を決め付けて検察の求刑は25年だったのに、裁判官が裁判員などと話し合って出した結果は無期懲役だったそうです。

検察はある程度、過去の判例なども考慮して求刑をしたのだと推測しますが、その結果出た結論は無期懲役というのは、全然違いますね。しかも、その裁判は死刑もちゃんと検討されており、その結果無期懲役にはなったが、死刑も可能性はあったということでしょうか。ってことは、過去の前例から大分乖離しているということですね。乖離するのが悪いのか?というと、私は悪いと思います。公平性が失われるという点が1番でしょうか?つまり、乖離するってことはどういうことか?っていうと、各裁判官、または裁判員の心象で決まっているということでしょう。

前例に則っているならば、乖離はしないと思うのです。ある程度の範囲に収まるはずです。でも、乖離しているってことは、その事件特有の事情に特に量刑を増やすべきだという感覚が生まれてしまったということです。そうなると、同じような事件でも裁判員や裁判官の感想次第で量刑が全然違うという事態が生まれるということですよね。1人殺したら15年、一方は死刑だと。殺人罪の量刑はかなり幅広く認められていると思うので、これは違法な判決ではないのだろうけど、府に落ちない人は多そうです。

つまり、ある裁判を担当した裁判官や裁判員は懲役15年が妥当だと思っても、その同じ裁判を別の裁判官と裁判員が担当すれば、死刑になるという、まさに運ゲーじゃないですか!と言いたくなるような感じですね。個人の感想に依拠して量刑を決めてしまうと、そういう事態がガチで起きるわけですよ。だから、私は基準をもっと明確に決めるべきだと思う。反抗が残虐とか、残虐じゃないとか、残虐性の程度とかいうのは、正直言って個人の感覚の範疇を出ないので、1番公平性が失われるポイントだと思うんですよね。

残虐か?残虐じゃないか?明確な基準がないので、自分はどっちだと思うか?は結局、個人の感想なわけじゃないですか?死体犯行が残虐か?残虐じゃないか?を議論すると、あるメンバーで議論したら、残虐だと思うが10で、残虐とは思わない0かもしれないし、メンバーを変えたら、5対5に分かれるかもしれない。いろいろなケースが考えられます。そういう曖昧な部分を量刑判断に組み入れてしまうとどういう感想を持つか?で量刑が全然変わる。今回みたいな懲役25年と思ったら、無期懲役とかになっちゃうわけだ。

残虐という1つの基準に関して議論してもこれだけ違いが出てくるのであれば、他のポイントなども含めたら、裁判ごとにいろいろな違いが露呈してくるのでしょうね。有罪、無罪に関しては人が直接判断しないといけないが、量刑に関しては客観的な基準を設けて、機械的にやるべきじゃないか?と思うんですけどね。裁判員裁判はどうしても量刑が重くなる傾向にある気がするのです。裁判員制度の量刑のばらつきが個人的には1番の問題点だと思うのですよ。裁判員裁判以外でも量刑のばらつきはあるかもしれないですけど。そうなれば裁判自体の問題点ということになります。

裁判員制度だけの問題点やデメリットではないが、裁判員が含まれる裁判はどうも厳罰傾向にいきがちな気がします。厳罰傾向にいきがちというか、一部の裁判員が恐らくそういう傾向を持っていて、それ以外の裁判員と量刑に差が出やすいと。私はそもそも人が人を裁くこと自体にあまり賛成ではないのですが、こういう傾向が見られるならば、より一層裁かれる側にとっても、腑に落ちない結果を生みそうです。冒頭で示した25年が無期懲役になったケースはまさに顕著だなと思います。
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